万能性を有しているES細胞ですが、1998年の「ヒトのES細胞」の発表以来、様々な議論を巻き起こし、実用化に向けて、2つの大きさ課題が明らかになってきました。この記事ではこの2つの壁について解説します。

移植を必要する具体例

日本には糖尿病の患者が950万人いると言われています。糖尿病がひどくなると腎臓に障害が起き、尿が作れなくなります。その結果、腎臓の代わりに老廃物を除去して血液をきれいにする必要があり、人工透析を受ける必要があります。人工透析

日本では30万人の方が人工透析を受けています。毎週3回、4時間以上かけて人工透析を受けます。また医療費も莫大な金額がかかり、そのほとんどは税金で賄われ、国の医療費を圧迫しており、私達の税金の負担が増えることになります。腎臓の代わりを果たすのが人工透析の機械ですが、代わりの腎臓を移植することができるのであれば、人工透析の必要がなくなります。

ドナー不足の問題

しかし、骨髄移植や臓器移植などの「移植医療」は常にドナー(提供者)不足の問題があります。たとえば腎臓移植を例にとると、日本で腎臓の移植を受けるには、健常者から腎臓の1つを提供してもらうか、あるいは心停止・脳死状態の方から、家族の承諾を受けて臓器を提供していただくかのどちらかです。

臓器移植数 臓器移植ファクトブック2012

日本は、臓器移植のハードルが非常に高く、亡くなった方からの腎臓移植は年に200件程度しか行われていません。30万人の透析患者に対して、年間の移植数はわずか1600件です。この足りない臓器をめぐって、発展途上国における臓器売買という深刻な問題も起こっています。

再生医療の切り札

このような面から、ドナーの問題を克服するために、移植する細胞や組織を人間の手でつくりだそうという試みが「再生医療」でなされています。受精卵から臓器に分化する前に取り出したES細胞は、移植する細胞や組織の供給源になりうるため、「再生医療の切り札」とされてきました。しかし、登場から10年以上たった今でも、細胞や臓器を作り出す技術は完成していません。ES細胞の実用化には2つの大きな壁が立ちはだかっています。

免疫の壁

免疫機構

1つ目の壁は「免疫」の問題です。

人間には精巧な免疫機能があり、体に異物が入ってきたら免疫系が攻撃したり、排毒する機能が備わっています。免疫のセンサーは遺伝子レベルで自分の中に受け入れてよいものかどうか判別し、異物だと判断するとすぐさま攻撃に入ります。ES細胞はいわば別人の細胞です。そのため、ES細胞からつくった細胞や臓器は異物とみなされ、移植しても拒絶反応が起こってしまいます。他人の臓器移植を受けた場合は、この免疫の働きを抑えるために、免疫抑制剤を一生飲み続けなければいけません。免疫抑制剤を飲むと体の中の拒絶反応は抑えられますが、免疫機構の本来病原菌を撃退する力がなくなるため、感染症等、様々な問題が出てきます。

倫理の壁

体外受精

2つ目の壁は「倫理」の問題です。

ES細胞のつくり方は、受精卵が細胞分裂を行い、100個程度まで増えたところから細胞を取り出して、シャーレで培養します。実際には、不妊治療を受ける方が、体外受精をするために、精子と卵子を取り出して受精させます。その際、試験管の中で体外受精させて1~2個を子宮に戻して妊娠させますが、残りの受精卵は予備として凍結保存します。無事に子どもができれば、保存した受精卵は子宮には戻さないので、それを夫婦から提供を受けて、ES細胞として使います。しかし子宮に戻せば赤ちゃんになるはずの受精卵なので、倫理の批判は根強くあります。

ローマ・カトリックでは「受精した瞬間から一人の人間」と命を定義しています。中絶にも反対していますが、受精卵を壊してつくるES細胞を使うことに対して、ローマ・カトリックは猛反対しています。また、アメリカではブッシュ大統領が、「人間の生きた受精卵を壊すような研究への予算支出には反対する」として政府の研究予算を打ち切ると発言しました。しかし、再生医療に必要な技術とされているため、2009年、オバマ大統領が「生殖目的の対外受精で作製されたES細胞を使用すること」という条件を定めて、ES細胞の助成を開始しました。日本ではヒトの胚は「人の生命の萌芽」であるとして、受精から14日間以内、「人の尊厳を侵すことのないよう、誠実かつ慎重に扱う」ことを指針に定め、ヒトES細胞は、つくることはもちろん、研究で扱うにも厳しい条件が定められ、国や研究機関の審査が必要になります。ES細胞は、理論的にはクローン人間を作れるという可能性を秘めているため、各国とも扱いは非常に慎重になっています。

続いてはクローン羊ドリーとヒトクローンES細胞についてです。

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参考文献

  • 金子隆一、新海裕美子:「この一冊でiPS細胞が全部わかる」青春出版社(2012年)
  • Newton 別冊:「夢の再生医療を実現するiPS細胞」ニュートンプレス(2012年)
  • 中西貴之:「なにがスゴイか?万能細胞」技術評論社(2012年)
  • 日経サイエンス編集部:「iPS細胞とは何か、何ができるのか」日経サイエンス社(2012年)